おばあちゃんのこと

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10月も終わろうとしているとある土曜日、祖母が亡くなった。


その日はいつもより30分ほど早く目が覚めて、なぜか目覚めた瞬間に「あ、おばあちゃん亡くなったな」とわかった。
プッシュ通知でLINEやメールが届いてたわけではない。
たまにそういう事がわかる時がある。誰かが病気っぽいな、とかも。
素早く起きてメールの受信トレイを確認すると母からのメールで祖母が亡くなった知らせが届いていた。ああやっぱり、と思い、その日はレッスンもあるし
翌日はショーの前のリハーサル1回目があるから、北海道に帰省できるならリハの直後かなと考え始めた。

慌ただしく母や親戚と連絡を取り合い、子供の朝食と習い事の準備を済ませて家を出る。
土曜の原宿のベリーダンスレッスンの間に母からお通夜と葬儀の日程が届く。
合間にANAのサイトでエアチケットを予約した。直前予約は割高〜!とか思いながら。
そして翌日、久しぶりにアーランジュの講師の皆と集まれる貴重なリハの日だったので
そちらに参加してから、ダッシュで原宿駅まで行き
なんとか出発1時間前に羽田に到着する。


祖母はもう15年以上も寝たきりだった。
記憶にある、まだ元気だった祖母は2002年、その年に私の母(祖母の娘)が大きな病気で入院して看病のために帰省した際に
私の実家にほど近い所に住んでいた祖母が三輪自転車に乗ってやってきており
そこで少し会話したのが、祖母と交わした言葉の最後だ。
ちょうど日韓ワールドカップで日本中が盛り上がっていた年だったからよく覚えている。
その頃からすでに認知症の症状があり
たまに支離滅裂な言動をして困ると皆が話していたけど
私がその日会ったのは孫が大好きな普通のおばあちゃんだった。
サッカー好きの友人達と2002年日韓ワールドカップの話になると
その年に大流行したデイビット・ベッカムのはにかんだイケメン笑顔とともに
入院している母と、当時実家で飼っていた雑種犬のキャルと、夕日を背中に道の向こうから私を見つけて
ニッコニコで「ちかちゃ〜ん!」と三輪自転車をこいでこちらにやってくる祖母の笑顔がいつも思い出されて懐かしさと切なさがこみ上げてくる。

その後私は東京に戻り
実家から「おばあちゃんが転んで入院した」とか「もう話せなくなった」とか「寝たきりになって施設に入った」とか年を経るごとに悪化していく祖母の様子の連絡が入った。
「おばあちゃんはもうダメかもしれない」と3,4年前くらいから母が言うようになった。
それでも帰省のたびに祖母がいる施設に顔を出すと
車椅子に乗って家族とのミーティングスペースに祖母はやってきて
ゼリー状の食事を美味しそうに食べさせてもらったりして、まだ本能的には元気そうな祖母を見て
少し安心して東京に戻っていた。祖母の面倒は基本施設の人が行なってくれたが
私の両親と母の兄夫婦が見ており、それが15年以上も続くと
皆が昔の祖母を忘れているようだった。


祖母はずっと北海道の田舎に住んでいたにも関わらず
「一体どこで買ったんだろう」と思うような綺麗なブローチをつけていたり
豪華なラメの入ったなニットを着ていたり、とてもおしゃれな人だった。
私と妹のことをとても可愛がってくれて、うちに遊びに来るたびに
一人に300円ずつお小遣いをくれた。
編み物が得意で、小学生の頃は私と妹が着るセーターを毎年何着も編んでくれた。
その当時はなぜか編み物が大流行しており
当時のアイドル歌手やイケメン俳優が表紙になったセーターの編み方本が秋冬になると書店に面出しされてたくさん並び、そういう本を参考にして
次はピンクがいい?白のキラキラの糸が入ったセーターにしようか?と言って
1シーズンに3着くらい編んでくれた。
小学校でも流行に敏感な子たちは私が新しい祖母作のセーターを着ていくと
「どこで買ったの?」
と必ず駆け寄ってくるので鼻が高かった。
しかし、私が中学に入った頃に祖父が亡くなり、
その頃から祖母も少し元気が無くなってきたようで
もうセーターみたいな大きな物は編めないと言って
毛糸の暖かい靴下をたくさん編んでくれるようになった。ちょうどサンタクロースのプレゼントを入れるような感じの、赤い毛糸の、ときにグラデーションだったり、
赤とピンクのバイカラーだったり。
18歳で私が東京に出てからもしばらく祖母は靴下なら編めていたようで
冬になると実家から大量に毛糸で編んだ靴下が届いた。
一冬ではとても履ききれないほど、何足もの靴下。
もう何年分もの靴下を祖母が当時編んでくれたのだけど
祖母が施設に入ってからは、なんだかもったいなくなって
1シーズンに2足だけを大切に洗濯しながら交替で家で履いて、今でもたくさんの毛糸の靴下をとってある。


もうずっと、私の記憶の中で祖母は
動けなくなって話せなくなった施設にいる祖母だったので
「おばあちゃんはハイカラな物が好きだったから、お供えのお菓子はハイカラなものにしてね」
と、母からメールがあるまで
キラキラのラメ糸入りのセーターを編んでくれていた祖母のことは忘れていた。
母のメールで、ああそうだった、と
祖母が着ていた数々のおしゃれな洋服や編んでくれたセーターの事が一気に思い出されて、
羽田空港の中で一番可愛いパッケージ(箱で選んだ)のお菓子をお供え用に買って、
何か、ひつぎに一緒に入れられるおしゃれな物はないかな、と空港を歩き回った。
しかし何しろ搭乗時刻は迫っているし
季節も冬に向かう頃でモコモコのダウンジャケットとかそういうのは沢山見かけたけど
イメージしている祖母のスタイリッシュな雰囲気に合うものはない。
エスカレーターを登った先に『和光』があり、ここなら!と思い入ると
美しい刺繍のピンクと白を基調にした大判のハンカチが目に入った。
これを、祖母の棺に入れてあげよう、顔の横に置いたら、顔色が明るく華やかに見えるはず、
そう思って、「ふたを閉めないで箱に入れて、リボンをかけてください」と店員さんに伝える。

北海道の葬儀場につくと祖母はとても美しい顔で棺の中に居た。
施設や病院にいた頃の顔ではなく、20年くらい前の晴れやかな明るい表情が思い出された。
持ってきた刺繍のハンカチを棺の横に置き、
もう午前0時に近かったけど
妹や、何十年ぶりに会ういとこ達と、小学校時代の懐かしい話や、
もうこの辺りは過疎ってて、学校も統廃合されててヤバい、など地元トークを繰り広げた。
北海道の夜は氷点下に近づく気温だったけどなぜか気持ちは満たされ
暖かく懐かしく、祖母が亡くなって寂しいけれど幸せな不思議な時間だった。

翌日は葬儀で
祖母の棺と祭壇の前で、父母妹私の家族4人(+祖母)で写真を撮った。
子供の頃、お葬式や死はとても怖い物で
親戚のおじさんの葬儀の写真などを見るのも怖いと思っていたけど、
祖母の祭壇の前で撮った家族写真はなんだかとても心温まるもので、
帰りの飛行機の中で何度もiPhoneを起動させて眺めた。

葬儀には母のいとこ達や、祖母とは直接血の繋がりのない、だけど仲の良かった親戚のおばさん達がたくさん参列してくれた。
この世代はこういう感じ、
と、ふと思った。
祖母の世代は兄弟姉妹も各家庭3〜4人、そしてベビーブームの私の父母の世代へ続く。
おそらく、
ベビーブーム世代のお葬式も今となんら変わりはない、
親戚が多数集まるものであろう。
そして、あの人はあんなだったとか、
故人とは直接は関係はないけど懐かしい話なんかして、
やっぱり昔からの繋がりや親戚はいいな(悪い場合もあるけど笑)と
思ったりするのだ。

でも。

もし私が90歳とか、祖母が亡くなった年齢まで生きたとして。
その下の世代はどのくらいいるのだろうか。
息子は今6歳だけど、いとこは一人もいない。小学校の国語の例題で『いとこたちと、あそびにいきます』と出てきて、いとことは何かまだあまり理解できていないようだった。

さらにその息子が大人になった時。



少子化が叫ばれて久しいがいよいよ2019年生まれの子は90万人を下回る見通しとなったそうだ。
ちなみにベビーブームと言われた1947年頃は約270万人。
私の周りを見ると、
産む人はたくさん産んでる!3人も4人も子供いる人も多い!という感じ。
一人っ子の我が家は珍しいくらいだ。
息子の小学校でもお兄ちゃんお姉ちゃんが上の学年にいる同級生が多数いる。

どちらかと言うと、
結婚しない男女がとても増えている、という印象。
それは人生の選択肢として全然悪い事ではないし、
子育ては本当に大変なので(大変すぎる!笑 まったく!笑)
私も仕事に生きられるなら、そういった選択をしても良かったと思っている。

ただ、このままでは国が衰退していってしまうので
移民ではなく、きちんとした対策で
子供を増やす努力を国がもっとやったらいいのになあと思います。
SNSで先日
『意識の無くなった老人を生かすために胃瘻(胃に穴を開けて栄養を流し込む)をやるのは保険適用、でも不妊治療は保険適用外』というのを見て
これが今のニッポンよな、と納得感がありました。

政治家になりたいとかは微塵も思いませんが
次の世代が困らない、より良き国づくりとか、もっとやったらいいのにな〜
と思う次第です。


長々とパーソナルな事書きました。特にオチがないので申し訳ないですが
読んでくださった方ありがとうございます。


祖母の死に際してなぜか晴れやかな気分なのは
十数年、ずっと寝たきりで、最後は経管栄養で苦しそうだった祖母が解放され
私の中で、綺麗でオシャレだった大好きな祖母を思い出せた事、
そして葬儀の際に従兄弟や妹や、大病したけど今は元気な両親とも時間を過ごせた事が
とても心に響いたからだと思います。
そういった区切りを文章で残したかった。


年末のラストスパートの時期となりました。
アーランジュベリーダンス発表会に向けてスタジオも熱がこもってきています。
「フォーメーション練習が始まると、ああ発表会シーズンだなと思う!」と
張り切った生徒さん達の声が聞こえてきて私も燃えるし嬉しい。

引き続き、何卒よろしくお願いいたします!!!