途上国のホテルで

昔、途上国のホテルで腕時計を盗まれたことがある。朝起きて時間を見たあと、ベッド横の棚に置いて出かけてしまったのだ。部屋に戻って気がついてすぐにホテルのフロントに抗議すると「金品を放置して出かけるアナタがワルイ。この国で大事な物を放置して部屋を出るなんて、掃除係に”持って行って下さい”と言ってるようなもんだよ」と軽くあしらわれ、泣き寝入りした苦い思い出がある。


エジプトに行ったとき、ピラミッド・ツアーを申し込んだにも関わらず、時間になってもツアーガイドがやってこない。前日とても仲良くなったガイドで「明日は必ず10時にね!フロントに行きますね!」とノリノリで言っていたのに。30分待っても来ないので電話してみると「今日は疲れてるから行けないね。じゃあまたね。」ガチャン!と切られてしまった。あとから別の人に聞くと、この国ではそれが普通、時間通りにコトが運ぶなんて思わないほうがいい、たいていの人は自分の都合を優先するよ、そういう文化なんだ、仕方ない、と言われ、そうか、そういうものなのか、幼い頃からそういう世界で育ってきたからそういう思考になるのだな、と自分に言い聞かせ、
それぞれの環境で皆違うベーシックを持っているという事をなんとなく理解したつもりではいるえけど、やっぱりなんか腑に落ちないなあ、という思いは今も消えない。


新卒で、某大手と言われるアバレルの会社にデザイナーとして入社した時、私の上司であるデザイナー先生が、『パリミラノ春夏コレクション特集雑誌』が届くやいなやすぐに熟読し、その中のいくつかのデザインを凝視し、まったく同じデザインの絵型をおこして、「これを次回の量産アイテムにします」と言い放ったときも、似たようなショックを受けた。
3年間洋服の勉強をして『自分の個性を出す!オリジナルにこだわる!そして世界へ(笑)!』的な青臭い、でも純真無垢な希望を胸に抱いていた私は、そういったわかりやすい模倣でたくさんのモノが出来て行く世界に心底カルチャーショックを受けたのだ。
「でも日本で発表される洋服はすべてコレクションのあとに出ているし、コレクションの流れをくんでいくのは何もおかしくない。本当のオリジナリティを発揮するのは一部の、パリやミラノコレクションに自分の名前で洋服を発表している人たちだけ。」と、飲みの席でその先輩デザイナー大先生がおっしゃっており、やはり腑に落ちないな〜と思いながら、下積みの重労働に耐えかね、約3年でその会社を辞めてしまったので、それ以来そのことは頭の片隅から消えていた。


その後私は自由を求めてイラストレーターとして仕事をはじめたのですが、ある時出会ったCMを制作している偉〜いお方の「海外の○○ってミュージシャンのPVに出てくる△△、すごくいいよね!見た?あれさ、今度のCMでやろうと思うんだ」という言葉に、え〜、それってパクリじゃん!?と、またしても同じような衝撃を受けたのです。
そしてそのCMはオンエアーされ数ヶ月の間何事もなかったように毎日TVで流れておりました。


今話題のエンブレムのデザイナーのお方が実際に模倣なのかどうなのかは私にはよくわかりませんが、ただ、私の知っている一部の世界、それもかなり大手だったり最先端なお方達が集う場所でさえ『既に誰かが発表した物を真似て後発で同じような物を作り一般市場に出して大多数の目に触れさせる事』が、なんらおかしな事ではなく、罪悪感を抱くではなく、ごくごく日常の事、として行なわれているという事を、腑に落ちない思いをかかえ、横から見ていました。
私はどちらかというと、ともすれば安っぽいアーティスト気質を自認しており「自分にしかできない事をやりたい!誰もやってない事をやりたい(笑)!」と常に思っており、ベリーダンスを仕事とした際にも、ほかの方とは違う方法でのアプローチを選び、今もその方向を模索中です。私がオリジナルで作った場所、物、現象の中で、たくさんの方がHappyになってくれたら素敵だな!という想いが根底にあるからです。
なので正直、「そこにあるから盗んだのだ。それが普通だ。みんなやってる」と言われ途上国のホテルで茫然自失したあの時の感覚が昨今のエンブレム事件でよみがえり、今まで出会ったたくさんの『模倣を常とする人』のことを思い出されて複雑な思いです。

でも、彼らはそういった文化の中の人たちで、たぶんもうそういう思考なので、外野がなにを言っても「何が悪い?」という気持ちだと思います。ドタキャンを常とするピラミッドのガイドのように。だってもう、それが普通なんだもん。
「カレーライスをスプーンで食べるの!? なんで?おかしいよ!」と言われても、え、だって昔からそうしてきているし、何がおかしいの?普通じゃん、と思うでしょ。そんな感覚かと。


絵やデザインの仕事からベリーダンスの仕事に移行しようと決めたのは、ベリーダンスという現象に輝かしい未来を感じられたというのも8割がたありますが、
デザイン界はある種閉塞的で、そこに入れればいいが、入れなければいつまでも下っ端(全員が全員というわけではありませんが)というわかりやすい世界であり、そこに入るための努力や人間関係やロビー活動(笑)にちょっと、いやけっこうかなり疲れたというのも、正直あります。
だったら自分の身一つで華やかに表現できるダンスの世界は本質的であり、華々しく素晴らしいのではないか、と。
今回のエンブレム事件でその閉塞的な世界の事も少し白日のもとにさらされ、デザイン界が良い新陳代謝をとげられればいいな、と純粋に、今はデザイン界のイチファンとして思います。


物事が大きく変わるとき、必ず歴史的な事件が起こりますよね。
そうやって世界はよりよく変化してきたのです。
旧態依然としていた「裏の」デザイン界が、これをきっかけに酸素を取り込み新しく呼吸し始めることを待っております。
その頃私もまた何か作品を発表したいなあ。
子供向けの、可愛らしい絵本とかね!

もちろん、パクリ無しで(笑)!